●司は、かつてはいた。今はない。そして、これからもない。
いやいや、決定的事実は、
はじめから司などいなかった。マジ。
宇宙には、素粒子エナジーしかない。これは事実。
司もまた、素粒子エナジー。これも事実。
素粒子エナジーは、一瞬、一瞬変化してウナギのように捕まえられない。で、そこらへん、ここらへんにありふれていて、だから無意味、無価値である。ダイヤモンドも雑草も。
素粒子エナジーだから、永久的な、ただ一つの、司令塔的な実体は、ない。無我で空であるんや。空っぽ。
ということは、司だ、とわれわれがよくしっている司もまた、今も一瞬、一瞬変化変転していて、無意味、無価値で、永久的な、ただ一つの、司令塔的な実体である自分はいない。無我で空である。emptyである。
だから、司もいないし、我々もいないし、生死もない。
生死は、ただの言葉、ネーミング。観念。
では、どうして、司がいる、われわれがいる。生死はある、ご冥福をお祈りします、というのか?
それらは、すべて、勘違いである。洗脳である。フィクションである。固定概念である。
だから、ここを見破るだけで、気楽である。生死にビビらない。
以後仕方なく、世の中の勘違いに、まったくもー、しゃーねーえと半笑いして、クールに合わせるだけ。
これ、気楽過ぎて、みんななら、大笑いするとこやろ?
Gyahaha~。
つまり、人類は、素粒子空だから、不死である。
素粒子空は、うまれないんだからなー。流れのみ。
生まれていないものが、死ぬわけがないやろ。ギャハハ。
宇宙素粒子エナジーが気楽でありますように